私は若いころに北欧のスウェーデンに研究者として何年か住んだことがあります。
休日になるとストックホルムの中心のデパートによく出かけました。夫婦共働の国だから買い物に出かける人が日曜日は多くて、その日も混んでいました。
品物が並んだ棚の間を大勢の人が体を横にしてすれ違っていました。そんな中、車椅子の青年が前からやってきました。もともと広くない通路に車椅子の青年と、体格のいいゲルマン人とがすれ違うのだから、それはもう大変で、左右の棚にぶつかりながらすれ違うんです。その時の青年の様子は表情を変えることなく淡々としていましたが、彼とすれ違ったある中年女性はとても嫌そうな顔をしていました。
スウェーデンに住み始めたころ、駅というすべての駅にエレベーターが設置されていることに私は驚きました。1990年代の初頭ですから。福祉の国だということをそういうところからも感じました。国民も車椅子の人と暮らすことに慣れていると思っていたので、車椅子の人とすれ違った女性が嫌な顔をしたのは意外でした。でも、その後、そういう光景はあちこちで見られました。その女性が特別ではなかったんです。
でも、考えてみたらそれは自然なことだって思いました。そんなせまい所を車椅子で通るのですから、まわりはわずらわしいですよね。福祉国家だからといって国民誰もが障害のある人に優しく、混雑の中大変な思いをして買い物をしている人までが笑顔で車椅子の人に道を譲ったりしたら、気持ち悪いなって思ったんです。
たとえば、大きな買い物袋を3つも4つも下げてせまい通路を行く人がいたら、仕方ないって分かっていても「迷惑だな」って思うと思うんです。だから、すれ違ったとき迷惑に感じたら嫌な顔をしても仕方ないと思うんです。
ただ、車椅子の人も買い物をする権利があることは十分承知しているから、車椅子の人が来ていることに疑問はもたないと思うんです。つまり、「迷惑をかけられることに慣れている」ってことじゃないかと思うんです。そして、表情を変えずに淡々と混雑の中を行く車椅子の青年は、「迷惑をかけることに慣れている」と思いました。
私の中で、障害をもった人が暮らす社会とは、ある障害のある人は周囲に迷惑をかけることに慣れている社会であり、周囲の人は迷惑をかけられることに慣れている社会なのではないかと考えます。
周囲の人はあなたに嫌な顔をすることがあるかもしれないけれど、それは障害のためとは限らない。そして、あなたはもっとまわりに迷惑をかけることに「やむを得ない」と慣れていかないといけないと思うんです。障害や認知症のない人も、迷惑をかけられることに慣れていかないといけないと思います。
繁田雅弘
東京慈恵会医科大学 精神医学講座 教授
東京慈恵会医科大学附属病院の精神神経科では初診や物忘れ外来(メモリークリニック)を担当。また、後進育成、地域医療への貢献にも積極的に取り組む。東京都認知症対策推進会議など都の認知症関連事業や、専門医やかかりつけ医の認知症診療の講習や研修なども行っている。日本認知症ケア学会理事長。