あなたに、私が「家族も苦労している」と言ったら、反発しましたね。「苦労しているのは家族でなくて自分だ」と。そのとおりです。病気になったのは家族でなくて、あなたですもの。症状で苦労しているのも、悩んでいるのも、あなたですもの。家族は予定もちゃんと覚えられるし、家の中もこともちゃんとできるし、仕事だって続けられるし、財産管理だって自信もってできる。生活には困らない。たしかにそうです。
あなたは「自分が前と違ってしまって情けない」とも言いましたね。でも、同じ気持ちだと家族も言ってましたよ。頼りにしていた人、大切にしていた人が、見かけだけかもしれないけれど、変わってしまったようで情けないって言っていました。そして病気なら、その治療やリハビリに協力する責任が家族にはあると。家族として十分なことができているだろうか、もっと大切なことをおろそかにしているのではないかと、不安ばかりだと言ってましたよ。家族の苦しさがそこにあるように思うのです。あなたの苦しさと中身が全然違うけれど、家族も苦しんでいると私も理解できるようになりました。
私は昔、家族だけの味方だったんです。本人の気持ちは自分の意識にはなかった。ごめんなさい。
患者さんに不要な苦労をさせてはいけないとか、苦しみを与えてはいけないとか思いましたが、「どんなことを考えているのだろう」「何を感じているのだろう」とは考えなかった。
その後しばらくして本人のことを考えるようになり、最優先するようになった。そして家族に我慢してもらうようにした。病気で苦労しているのは本人だから家族は我慢すべきだと本当に思った。家族に「病気なのは本人なんですよ」「一番苦しいのは本人なんだ」って分かったようなことを言ったんです。自分が病気を経験したこともないのに。
でも最近は、本人だけの味方になっても家族が苦しんでいたら(苦しんでいる理由は認知症に関してあまりに無知な場合も多いけれど)、本人だって幸せを感じられないって思うようになったんです。だから、今はあなたの全てを肯定して味方のつもりだけど、家族のことも認めて味方になりたいんです。
認知症の医療と福祉もそういう流れになってきているように思います。家族だけのことを考えていた時代から、本人だけのことを考える時代になって、そうしてそろそろ家族と本人との両方のことを考える時代に入ってきているのではないかと思うのです。
どうでしょうか、両方のことを考える時代に入るのは、まだ早いですか? もうしばらく、本人を優先していたほうがいいでしょうか。
繁田雅弘
東京慈恵会医科大学 精神医学講座 教授
東京慈恵会医科大学附属病院の精神神経科では初診や物忘れ外来(メモリークリニック)を担当。また、後進育成、地域医療への貢献にも積極的に取り組む。東京都認知症対策推進会議など都の認知症関連事業や、専門医やかかりつけ医の認知症診療の講習や研修なども行っている。日本認知症ケア学会理事長。