頭がフワッと浮いたような、変な感じから始まった
三浦繁雄(以下 三浦)
自己紹介がてら診断に至る経緯を教えていただけますか?
平井正明(以下 平井)
年齢は61歳、去年還暦を迎えたところで本当は60の定年まで仕事を続けて別のことをやろうかなと思っていたんだけど、こういう病気と出会うことになって仕事を辞めたのが56歳のときです。
いちばん強く感じたのはいろんな仕事の能率がすごく低下してきた、いわゆる業務遅延ですね。ホントに仕事がはかどらない。これはなんかおかしいって思ったのがきっかけだったんで認知症というよりうつ病だろうって精神科を受診したんです。
診断名はMCIもしくはアルツハイマー型認知症の初期の段階というすごい曖昧だったんですけど、実は、診断を受ける2年ほど前からいろんな身体の不調を感じていたんです。
三浦
じゃあ54歳くらいから?
平井
うん、ただその不調っていうのは一般にいわれる“もの忘れ”じゃないんですね。頭に変な感覚、フワッと浮いたような、なんか変な感じがずーっとするようになって。
三浦
今も続いているんですか?
平井
今も。起きている間は常に感じているんです。それと平衡感覚がすごく悪い。実は私、海馬は正常なんですよ。診断された5年前から定期的に画像診断を受けているんだけど、最初の段階から海馬の萎縮や血流の低下は見られない。でも頭頂葉が悪くてフラフラするんです。
あと2つ3つのことを同時に処理できない。たまに台所に行って料理しようと思うと、ものを切るときは切るだけ。ガスレンジに火をつけたらその前でじっと見ている。電子レンジにスイッチ入れたらチンってなるまで前で待っている。それぞれのことはできるんだけど、料理作るのはとんでもない!(笑)
支援活動団体との出会いから、ともに“つながる”活動を開始
三浦
退職後どうされたんですか?
平井
ちょうど退職した次の年に奈良県内で丹野智文さんが登壇された若年性認知症のフォーラム①に参加して話を聞きました。僕にとってその話がすごく新鮮で印象に残ったのもあるんですけど、たまたまそのときに奈良県の「若年認知症サポートセンターきずなや②」代表の若野達也さんが「こんな活動します」と話されて、今の「きずなや」での活動につながっている。その講演がなかったら、今、この活動はたぶんしなかったかもしれない。ちょうどタイミングがよかったと思うんですね。
①2018年1月23日奈良県生駒市で開催された「若年性認知症フォーラム」。
https://www.city.ikoma.lg.jp/cmsfiles/contents/0000012/12296/300116_06.pdf
②一般社団法人SPSラボ若年認知症サポートセンターきずなや。2009年 地域で孤立する若年性認知症の人と家族に対しての居場所や活動拠点をつくる目的でスタート。https://kizunaya-nara.org/kizunaya/
三浦
「きずなや」の中ではどんな活動をされているんですか?
平井
ひとつは相談ですね。それともうひとつは仲間や家族を集めて活動する。あとは講演をやって人に伝えていくことと、イベントやいろんな集いに参加して繋がっていくこと、大きいのはその4つです。
三浦
相談はどんな感じでされているんでしたっけ?
平井
定期的にやっているのは月1回、奈良県立医科大学で。ここは基幹型の認知症疾患医療センター③があるんです。特に若年性認知症の場合はここで診断を受ける人が多いので、まずここで相談を受けられるようにしています。
僕の経験としても、とにかくスタートラインはお医者さんの診断なんです。ホントに早い段階で医療と繋がるっていうのが大事だと思います。若年性認知症になるのはまだまだ仕事をしなければならない年齢だから、診断を受けたら、そこからどう自分の暮らしを新しくしていくか。これならなんとか生活していけるという安心感がもてて初めて、いろんな活動ができるんですよ。
お医者さんからの紹介などで、話を聞きたいという人から連絡が来たら「はい、会いましょう」って基本的にこちらから会いに行く。自分から行くっていうのはエネルギーがいるんです。それは僕も感じていたのでわかる。最初に電話するだけでもすごいハードルなんです。電話をかけることすらできない人もいるはず。だから ‟奈良県内どこでも行くよ”がモットーです(笑)。
③基幹型認知症疾患医療センター。認知症疾患に関する鑑別診断の実施など、地域での認知症医療提供体制の拠点となるのが「認知症疾患医療センター」。なかでも基幹型は、各都道府県を圏域とし主に総合病院に設置。検査機器や入院設備などが整い、BPSDや身体の合併症への対応、専門医療相談などを行う。
三浦
それはすごいな。活動っていうのはレクエーションとか?
平井
本当はそういうのもやりたいのですが、今はコロナ禍でなかなかできないですね。「きずなや」に週1回、集まって、みんなでワイワイ話したり、散歩に行きたい人は行くし、歌いたい人は歌う。ご家族さんはご家族さん同士で話をしたり。
三浦
僕が「きずなや」さんに伺ったとき、敷地が広大で驚きました。
平井
そうなんですよ。まだ手つかずの土地が結構あって。若年性認知症の人だけでなくて、仕事に疲れた若者とか、社会にうまく入れない人たちも、そこで自分を見つめ直しながら一緒に活動していこうって。
三浦
インディアンのテントみたいなのもありますよね。
平井
ティピーっていうんですよ。
三浦
あそこだったら、みんな、いろんな人たちが、何かしらやりたいなぁって思うだろうなって。
平井
三浦さんもそう思う?
三浦
せっかく離れたところでやるなら、ああいうところが面白い!
平井
私も初めに若野さんから「一度見においで」って言われて行って、すぐに「ここで活動すのがいい」「決まり!」って(笑)
三浦
ホントに素敵ですね。おもしろい活動だし、これからいろんな広がりがありそうだなと思います。
2021年7月、三浦さんが、平井さんの活動拠点であるきずなやを見学したくて訪ねたときの写真。写真左から若野達也さん(一般社団法人SPSラボ若年認知症サポートセンターきずなや代表理事)、三浦繁雄さん、平井正明さん、小西雅之さん(きずなやスタッフ、奈良市社会福祉協議会所属、NPO法人認知症フレンドシップクラブ監事)。
大切にしているのは、ストレスを感じない暮らし方
三浦
いちばん僕が聞きたくてみなさんにも知ってほしいことですが、平井さんは抗認知症薬を使わずに認知症に取り組んでおられますよね。
平井
今ある抗認知症薬が根本的に治すとか、進行を止めるという作用ではないからです。実は、うちの子どももいろいろな向精神薬を使っているのですが、やはり脳に直接作用する薬はすごく怖い。だから僕はそうした薬に対してすごく慎重です。
それよりも、今までの暮らし方を変える。今までの暮らしの中でそういう病気になったとすれば、やはりそこを変えないと、と自分は思っています。今までと同じことをやっていたら、進んじゃうんだと思う。それがまず第一歩です。
あとは脳をうまく活用する。薬も基本的に脳の神経などの活動を活発にさせる作用だから、脳の活動を活発にするような活動を普段の生活の中で増やしていったら結果も出てくるんじゃないかなって。薬ありきでやるのはよくないと僕は思います。
三浦
薬はまったく使っていないんですか?
平井
主治医の先生が漢方に詳しいので、漢方薬は処方してもらっています。
三浦
あとは暮らしを変えていくしかない……ですね。具体的にはどんなことを変えたんですか?
平井
ストレスを感じない生活! それがいちばん。それを実現するために何が必要だったかというと、僕の場合は仕事を辞めることでした。すごく負担に感じていました。
それから運動。体を動かすこと、すなわち脳を使っている。手や足を動かすのは脳が指令を出しているんです。週4〜5回はスポーツジムに行ってマシンをひととおりやる。ZUMBA(ズンバ)などのダンスエクササイズなんかは楽しくてハマっています。
三浦
えー! ちょっとそれは僕の中の平井さんのイメージからは想像してなかった(笑)
平井
からだを鍛えるっていうよりも維持ですね。自分は平衡感覚が悪くフラフラするので、体幹を上手く使って正しい姿勢や正しい体の動かし方を身につけたいと思っていて。今ではフラつかずに立った状態を保てるようになってきています。
あとは生活リズム。睡眠時間をしっかり確保することを大事にしています。認知症を病気って捉えるならどんどん進行していくだろうけど、そのときそのときの自分の状態に応じて“うまく暮らしていく”っていうのは作れると思っているし、作っていきたい。暮らしを変えることがいい方向に……たとえばものすごく遅い速度で止まっているかのごとく認知症の進行をゆっくりにできればベストだなと。そんな状態も理論的には作れるだろうと思っています。
まだつながれていない人と、少しでも早くつながりたい
三浦
今後やってきたいことはありますか?
平井
活動を始めてからもう間もなく5年になるけれど、地域でうまく(認知症がある)仲間同士がつながって、自分のやりたいことをもって活動するっていうのがまだできていない。今つながっている人は、たまたまきっかけがあってうまく私たちとつながれたけど、現実にはまだつながれてない人がホントはいっぱいいるはずだと思っているんですね。そういう人たちと、いろんな活動ができるうちにつながって、自分が何をしたいのか、何ができるのか、これから何をやっていったらいいのか、見つめ直してもらいたい。
三浦
そうですね。別に人前で話さなくてもいいんですよね、ごく日常の生活の中でつながれたら。
平井
そう! ホントそうです。
インタビュー実施日:2022年3月3日
執筆:斉藤直子
構成:早川景子