meet! 小野寺朗さん

診断名がつくまで

一番最初は……仕事上で、ものを忘れたりということがちらちらあったので、なんか不安だなと思って、仕事の帰りにふらっと一人で総合病院へ行って、軽い気持ちで検査してもらいました。「異常ないから大丈夫だよ」という回答でした。

だから、それで終わったつもりでいたんです。

でも、その後、上司から「物忘れがひどすぎるから、会社と提携の病院に行ったほうがいいよ」と言われて。勧められた病院に行きました。問診をしてCTを撮って……医師からは「なんでもないよ」と言われたんですけど、もの忘れはあるから心配だと言ったら「近くにある総合病院なら詳しい検査ができるから、予約を入れるので受診してください」と言われました。

次の病院(神経内科)では、いろいろな検査してもらいました。MRI 、CT、骨髄液とって金沢の病院に送って……。それでも診断名はつきませんでした。

そうこうしているうちに、鬱が出始めたので、同じ病院の精神科も受けるようになりました。でも、もらった薬があまり効いた感じがしないから、先生に「これあまり効かないよ」と言うと、先生が薬を増やしたり減らしたりしてくれました。

しばらくしたら幻視が出始めて……。それを神経内科の先生に言ったら、MIBG心筋シンチグラフィを受けるように勧められて、受けてみたら心臓がうまく写らなかった。そこで「レビー小体型認知症」と、診断名がつきました。最初の病院に行ってから、ここまで(診断名がつくまで)が、1年ちょっとくらいでした。

心が折れる

今でも鬱はあるんですね。というのは、やっぱり思いっきり心が折れるじゃないですか。

この間、認知症に関する講演会である医師が「家族は、認知症をもつ本人に対して “できる”  “もっとできる”という思いをもって介護していることがある」という話をされていましたが、それを聞いていて、「あ、自分にもそれはあるな」と。「自分はさらにそれよりももっとひどいことを(自分に)言っているな」ということに気づいたんです。

家族よりももっと自分自身のことがわかるから、「ここまでできるはず」「これまでできる」と思っている。だけど、それができないから、思いっきり心が折れるんですね。

「できたはずなのに」というもどかしさが、自分の中にはあります。

だから、すごい鬱を今でももっています。

最近は講演会でお話しすることがあるのですが、そこでは自分のポジティブな面を出しています。でも、180度違う面が自分の中にはあるんです。心が折れてる自分と、ポジティブな自分があって、今はその二つでバランスをとっているような感じです。

職場で声をかけてくれる存在も自分にとってはとても大きいです。

仕事でいろんなことをやらせてもらって、まわりの人が「よくできたね」「うまくできたよ」「思った以上にできたよ」と声をかけてくださるのが、自分の力になる。「あ、認めてくれたんだ」と。

今までできていたことを、誰よりも自分がわかっているじゃないですか。だからこそ「ここまでできた」「ここまでできるはずだ」という思いがある。でも、今は「忘れちゃった」「できない」「間違えた」っていう毎日だから、「これでいいのかな」っていう感じで……「前の自分だったらもっとできるんだけど、今はここまでしかできません」という思いをもちながらも、仕事の書類を提出したときに「できているよ」と言われると、「あーよかった」と。

声をかけてくれる人がいるから、自分の中でバランスがとれています。

もしも仕事をしていなかったら、誰からも声をかけてもらえない……。

たとえば、心折れているときに「なんでできないの」と言われたら、よけいに落ち込みますよね。だから「外に出たくない」という人の気持ちがよくわかるんです。外出ると怖いんです。

困っている人には声をかけたい

診断されてから2年くらいは、ダークな時代でした。心が折れることばかりで、仕事も「辞めようかな」というところまでいったこともありました。

その間、配置換えをしてくれるなど会社が対応していってくれたことで、今では職場の人たちとのコミュニケーションが自分にとってはとても大切なものとなっています。

社会的には、まだ(認知症の人は)受け入れにくいのかな?

だから、診断されたら「やめてください」と会社から言われちゃうのが当たり前かな? 

でも違うよ、丹野智文さん(仙台に住む認知症をもつ人)も(仕事を)続けているし。できるんだ、と思っています。

いろんな人と巡り合って講演会でお話しをする機会にも恵まれ、いろんな人の意見を聞けるようになったことで、「自分が今、していることの方向性は間違ってないんだな」と思えるようになりました。

「私も認知症かもしれない」という声が、あちこちから出てくるんです。私は、困っている人がいるなら声をかけようと思っています。

たとえば、大和市のある会(当事者と家族が参加する会)に、認知症かもしれないという人が参加してくださって。話をしているうちに、最初はすごーく無口だった人がだんだん明るくなっていくと、「あー、やっていることはこれでいいんだ」と思うんです。

ときには、僭越ながら、家族の人に「ちょっとそれ、(認知症をもつ本人にとっては)きついよ」と言います。自分からは言えないじゃないですか。「外に出てきて、(本人は)やっと輪の中に入れたんだよ」と言ったりします。

認知症になったことで、働くことができなくなったり、いろいろと悩んだり・・・でも、どこに連絡すればいいのかわからなかったり、何をしたらいいのかわからない……。

私があちこちに行って「私そうかも」という人と出会えば、「じゃあこんなところがあるよ」と、居場所となれるようなところを紹介するだけでもいいのかなと。家族も一緒に来てくれると、家族同士でも交流ができるからいいのかなと……。

小野寺朗さん
神奈川県大和市在住。1960年生まれ。郵便局員。50歳のときにレビー小体型認知症と診断される。

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