認知症と診断されたあなたへ

認知症になっても役割のあるデイサービスでの出会いから「生きるとは」を学ぶ日々

インタビューする人 山中しのぶさん(写真右)
 1977年生まれ。高知県在住。 3人の男の子を育てる主婦。2018年に認知症を扱ったテレビドラマを観ていた息子に認知症を疑われて受診し、2019年2月若年性アルツハイマー型認知症と診断される。携帯販売の営業職として15年間勤務し、体調を崩し2021年6月末に退職。 現在は、認知症になっても暮らしやすい町づくりをしたいと思い法人を設立するための準備中。
 
インタビューされる人 下坂厚さん(写真左)
 1973年生まれ。京都府在住。長年、鮮魚店に勤め、2019年の夏に若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けて退職。その後、認知症初期集中支援チームとのつながりから介護職でのアルバイトを始め、後に正職員として採用される。ケアワーカーとしてデイサービスで働きながら、講演やピアサポートなどの社会活動を通して認知症の啓発活動にも力を入れている。

「もうどうしようもないな」と、診断直後は思った

山中しのぶ(以下 しのぶ)
 下坂さんはどんなきっかけで診断にいたったのですか?

下坂厚(以下 下坂)
 魚屋の仕事をしていたときに、お客さんの注文を忘れたり、仕事の手順が分からなくなったりしたんです。最初のころは疲れてるのかなーぐらいに感じていたんですけど、だんだん一緒に働いてる人の名前が出てこないとか、仕事場までの道順を間違うようになってきて、あれ? なんかおかしいな、と。で、クリニックのもの忘れ外来に行ってみたんです。診察してもらって、長谷川式のテスト①をしたら点数が半分ぐらいだったので、大きい病院でいろんな検査をして 2019 年の夏ごろに若年性のアルツハイマー型認知症という診断が出たんです。

①改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)

しのぶ 
 そのときは、どんな気持ちでしたか?

下坂 
 一瞬目の前が真っ暗になって。「まさかな〜」という感じでしたね。先生の話を聞きながら頭の中では「これから先、どうしていったらいいんやろう」っていう……。そのときの、自分がもっている認知症のイメージっていうのが、お年寄りがなるっていうものでしかなかった。徘徊するとか、自分や家族のこともわからなくなるとか。だから、自分もすぐそうなるんかな?って。

しのぶ 
 やはり最初は、自分の中にある今までの認知症のあまりよくないイメージから、不安になってしまいますよね。

下坂 
 インターネットで調べると、2年で寝たきりになるとか、若年性は進行が速いとか出てくるので、もうどうしようもないなって気持ちになってきますよね。

2019年9月4日のInstagram。まだ自分が認知症であると公表していない

できることなら奥さんには、診断名を隠しておきたかった

しのぶ 
 奥様と一緒に病院に行かれたんですか?

下坂 
 奥さんには内緒で行っていました。診断が出たので、魚屋を辞めるってなったし、どこかでバレるやろうなって思ったので報告した感じです。
 でもできることなら隠しときたかった。パートナーが認知症になってしまうことで、奥さんのこれからの人生を大きく変えてしまうんじゃないか、負担をかけてしまうんじゃないかって、申し訳ないなっていう気持ちでした。そのときもまだ自分の中で “認知症イコールも何もできなくなる” しかなかったので、自分を介護させなあかんのかって。だからやっぱり奥さんには言いたくないってなりましたね。

しのぶ 
 認知症と告白したとき、奥様はどんなふうにおっしゃったんですか?

下坂 
 「あ、そうなん?」ってね。
 奥さんは介護ヘルパーの仕事をしているので、高齢の方の認知症のことは多少知っているのかな。でも実際、自分の家族がそうなると、やっぱり動揺したんじゃないのかな。

しのぶ 
 そうなんですね。魚屋さんを辞めると言ったとき、経営者の皆さんはどんな反応でした?

下坂 
 もともと京都にもある大手の魚屋に勤めていて、そこの仲間と一緒に独立して、2019年の春に店ができて、その夏に発症したんです。みんな「まだ会社にいたらいいやん」って言ってくれてたんですけど、でも自分が足引っ張るのは悪いし。若手を育てていかなあかん立場で、自分が衰えていくのはやっぱり見られたくないなというのも正直あって。潔く諦めるしかないのかなと思って退職しました。
 住宅ローンもあるし生活もあるし、仕事人間やったし好きな仕事だったので、それを辞めるというのは相当葛藤がありましたけどね。

しのぶ 
 傷病手当は申請されなかったのですか?

下坂 
 傷病手当とかもあまり僕は知らなかったんで。あとから考えたらね、使っていたらよかったんかなとも思うんだけど、そのときは、仕事はとりあえず辞めて、身の周りの整理をして、それで施設か何か入らなあかんのかなって思ってた。

しのぶ 
 私も最初そう思いました。

下坂 
そうでしょ? だからまだまだ世間にもそういうイメージが多いんちゃうかなと思うんですよね。

魚屋さん時代。その後、仲間たちと独立をした

みんなが役割をもって輝けるデイサービスで働き始める

しのぶ 
 お仕事を辞めて、その後はどうされていたんですか?

下坂 
 魚屋を辞めてしばらくはあまり外にも出たくない、人に会いたくないという感じでした。そんなとき、認知症初期集中支援チーム②の人たちが家庭訪問に来られて「西院老人デイサービスセンター③というところにボランティアで来ませんか」って、何とか外に連れ出そうと声をかけてくださったんです。
 それで実際に行って施設長さんとお話ししているなかで、利用者さんがまな板を作ったり洗車をしたりして報酬を得るという、認知症の方でも役割をもって輝ける取り組みをしていることを知ったんです。「認知症になってもやれることはあるんだ」って思って。そこからちょっとずつ「自分でも何かできるのかな」「じゃあちょっと行ってみようかな」っていう気持ちになり、週3回アルバイトとして通うようになりました。
 デイサービスの高齢の利用者さんのほとんどが認知症をもっていますけど、じっくり話をしていくと「今こうやって生きているだけで、元気でいるのがありがたい」って言うんです。僕らはまだいろんなしがらみとか肩書とかを考えてしまうけれど、でも、そうだよね、人間最後はやっぱり “生きている” っていうことがありがたい。認知症になって、たまたまご縁があって介護の仕事をさせていただいて、そこに自分は気づけた。認知症になってよかったと思えることのひとつは、そこなんですよ。利用者さんに「生きるとはどういうことや」みたいなことを問われているような、試されているような。ああ、ありがたいなと思うんですね。

②家族の訴えなどから、認知症の人、認知症が疑われる人、その家族に対し、保健師・看護師・作業療法士など複数の専門職が訪問して状況を判断し、家族も含めた初期の支援を総合的、集中的(おおむね6カ月)に行い自立生活のサポートを行うチーム。

③社会福祉法人京都福祉サービス協会 西院老人デイサービスセンター  https://www.saiin-essassa.com/program/

祈りを込めてシャッターを押す

しのぶ 
 写真がご趣味と聞いたんですけど、認知症になる前と今ではカメラのレンズを通して見るものや感じることに違いがありますか?

下坂 
 ああ違いますね。20代前半のころにフリーでカメラマンの仕事もしていて、魚屋やりながらも写真は撮り続けていたんです。そのころは、きれいな景色をきれいに撮るような、作品を作るような撮り方をしていました。でも今は風景ばかりでなく人を撮るようになってきたかな。
 自分が認知症になって、急ではないにしてもだんだんいろんなことが不確かになっていく。家族のこともわからなくなってしまう。いろんなものが奪われていくというのが頭のどこかにいつもあって、失いたくないもの、留めておきたいものにカメラを向けるようになったのかなって思うんです。
 カメラを向けている人たちの、その光景が、笑顔が、輝きがずっと続きますように、という思いを込めて撮影しています。写真を撮ることは、今は祈りです。

しのぶ 
 私、息子が3人いるんですけど、認知症になる前は、息子たちばかりを撮っていたんですが、今は自分も残したくて、息子たちと一緒に写るようになりました。

下坂 
 その写真がないと思い出せない、自分の中になくなってしまうという感じはありますね。だから今は写真が自分の記憶そのものかな。

フリーでカメラマンをしていたころの作品の一部(撮影:下坂厚)

西院老人デイサービスセンターで撮影した写真。最近では人物を撮影することが多くなった(撮影:下坂厚)

2020年3月15日のInstagram。若年性認知症であることをオープンにしたことを伝えている

誰にとってもやさしい社会になってほしい

しのぶ 
 下坂さんはこれから認知症の人にとって、どんな社会になっていってほしいですか?

下坂 
 以前は  “認知症の人にやさしい町を作ろう” というような取り組みでも、支援者主体の取り組みだった感じでした。それが今は認知症の人がやりたいことに、認知症の人が主体となって取り組んでいる。そこが大事かな。認知症の人だけでなくて “人にやさしい”、いろんな病気や生きづらさを抱える方に寄り添うようなやさしい社会になったらいいと思います。

しのぶ 
 そうですね。

下坂 
 もうひとつ、どうしても困り事をフォローしようみたいな流れになりがちだと思うんです。そればかりではなくて、やりたいことを一緒に手助けしてくれるような視点がすごくありがたい。引き上げる支援ではなく一緒に伴走するような支援がいいですね。

講演会での様子。奥さんと一緒に書いた本の影響もあり、二人で登壇することもある

当事者のひとりとして、当事者にしかわからないこと、当事者だからわかることを伝えていきたい

『記憶とつなぐ 若年性認知症と向き合う私たちのこと』下坂厚・下坂佳子著 双葉社

インタビュー実施日:2022年2月21日
執筆:斉藤直子
構成:早川景子 

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