認知症を持つ人に会いたい

認知症当事者と会うことが、自分自身を死の恐怖から引き離している感じがしている

インタビューされる人 戸上守さん(写真右)
1960年生まれ、大分県在住。38年間地方公務員として勤め、56歳のときに、もの忘れ症状と体調不良で退職。大分市の「なでしこガーデンデイサービス」に通いながら、同社が立ち上げた事業所で運輸関係の仕事にも従事。認知症ピアサポート活動を3年、令和3年から大分県希望大使。大分県「おおいた認知症情報サイトおれんじ」のイメージキャラクター・キボウクンのモデルでもある。NHK主催の令和3年「認知症と生きるまちづくり大賞」を、「なでしこガーデンデイサービス」代表である吉川浩之さんとともに受賞。

インタビューされる人 牧田喜久雄さん(写真左)
1963年生まれ、関西在住。自動車販売会社在職中、短期記憶の障害が出て病院を受診。なかなか診断が下りず病状改善の見通しがつかなかったことから戦力外通告を受け退職。2015年退職後に認知症の診断。2017年から参加する「認知症カフェひまわり」(兵庫県)で現在は事務局を担当。「非営利活動法人播磨オレンジパートナー」(兵庫県)では「本人の会 ピア」を担当。「一般社団法人はるそら」(岡山県)では本人ミーティングのメンバー、ピアサポーターとして参加するかたわら、記録係やオンラインの設営などでも活躍中。

診断名が次々変わっていく

戸上守(以下戸上)
 牧田さん、こんにちは。私は大分県豊後大野市に住んでおります。歳は61歳です。お歳は同じくらいですかね?

牧田喜久雄(以下牧田) 
 私は今年59です。

戸上 
 私も若年性認知症になって、こういう出会いをいただきましてありがとうございます。もともと大人しくてあまり話が上手じゃありませんので……よろしくお願いします。

牧田 
 はい、お願いします。

戸上 
 私のお聞きしたいことは、診断を受けられて今に至るまで、気持ちはどんな感じだったかなと。

牧田 
 そうですね。私、最初診断されたときは、診断名が前頭側頭型認知症だったんですね。そのとき私はまだ認知症って何なのかも知らなかったのでインターネットとか本とかで調べたんですけど、アルツハイマー病は進行を遅らせる薬があるけれど前頭側頭型はただ死を迎えるしかないのかなって落ち込みましたね。

戸上 
 私も前頭側頭型なんですよ。指定難病なんですよね。

牧田 
 実はね、今現在の私の病名は、中途半端な状態なんですよ。最初の診断が前頭側頭型認知症で、その後アルツハイマー病に変わって、しばらくしてアルツハイマー病ではないと診断を覆す先生もあって。今かかっている病院では器質性精神障害といわれています。

➊器質性精神障害とは脳細胞の損傷による疾患群で、広い意味の場合は、肝臓や腎臓など体の病気で起こる疾患群(症状性精神障害)も含みます。

戸上 
 診断されてどのくらいたっているんですか?

牧田 
 診断が2015年なので、52歳の時です。初診は2012年なので49歳。私の場合は会社の方から「おかしいぞ」「病院で大丈夫だという太鼓判をもらってこなければ仕事はさせない」といわれて。そこから診断が下りるまで3年かかりました。あの頃で3年は早いほうだけどね。私は脳萎縮がほとんどないので病院の先生もいまだに悩んでいる。

戸上 
ご家族は?

牧田 
 妻とふたりです。(←戸上さんからの質問に応える形で、この一文を追加してもいいでしょうか)
 うちは子供がいないので子供に対する費用はかからないけれど、逆に介護などで頼ることもできない。夫婦どちらかが倒れればそれでおしまいですから。

戸上 
 奥さんがお仕事を?

牧田 
 嫁さんが仕事しないと食っていけないから。だから嫁さんには頭上がんないですね。

戸上 
 私もです(笑)

牧田 
 (笑)

戸上 
 牧田さん、診断された当時と現在はどういう感じかな? 私はあまり変わっていない感じですけど。

牧田 
 うん、あまり変わらないです。計算ができなくなったとか、平仮名が読めなくなったとか、そういうことはありますけど、大きく生活が変わったっていうのはないかな。

戸上 
 買い物は自分でされます?

牧田 
 一応、高いものを買うときは家族と相談する形でやっています。

戸上 
 自動販売機でジュース買ったり、乗車券を買ったりするのは、私はできますけど。

牧田 
 乗車券を買うのは苦手なんですよ。だからJRに乗るときはほとんどグリーンの窓口(みどりの窓口)に行って対面で切符を買う形です。自動券売機が苦手でね。

戸上 
 住んでいるのは都会? 交通機関が発達したところですか?

牧田 
 いや公共交通機関がほとんどなくて、ローカル線もバスも上りと下りしかないところ(笑)

戸上
 うちの方なんか1時間か2時間に1本の山の中ですよ。

牧田 
 そうそうそうそう。うちの方は最終のバスが、日が暮れる前になくなるんですよ。それ以降は歩いて帰るしかない。

戸上 
 うちと一緒くらいだ(笑)

料理は好きで続けている牧田さん。お母様に教えていただいた方法で梅をつけるのは、この数年の習慣。

診断時には死を身近に感じて……
同じ思いの人を助けにいきたい

戸上 
 話は変わりますが、今いちばんやりたいこととか、したいことはどんなことですかね。

牧田 
 やっぱりね、夫婦で旅行すること。会社勤めをしていたころは、夫婦で一泊旅行とかしていたんですけども、会社辞めてからはほとんどできていなくて。久しぶりに今年、夫婦で旅行できるチャンスがあったんですけど、コロナの関係で結局ひとり旅になっちゃいました。

戸上 
 私は還暦祝いで有馬温泉に連れて行ってもらいました。嬉しくて涙が出ましたね。

牧田 
 ああ、それはいいですね。

戸上 
 牧田さんももうすぐ還暦じゃないですか。

牧田 
 そうですね。来年です(笑)

戸上 
 そして今、いちばん楽しいことはなんですかね。

牧田 
 楽しいことはね、こうして、リモート会議で日本全国のいろんな方とお会いできることかな。

戸上 
 ああ私もそうですね。

牧田 
 これもひとえに認知症と診断されたからこそできることですね。

戸上 
 そうね、私もそれがなければフェイスブックとかしてないわ。

牧田 
 そうですよね。こうして皆さんとも出会うこともなかった。

戸上 
 こんなに元気な人がいっぱいいるんだっていうことで、私も心強くなりましたわ。

牧田 
 うんうん、そうですよね。

戸上 
 それとね、逆に今いちばん困っていることは何ですか?

牧田 
 身近なことで言うと、町内に先日まであった金融機関の窓口が撤退しちゃったんですよ。

戸上 
 ありゃぁ、こちらもですわ。統合されようわ。

牧田 
 ATMだけになっちゃてね。ちょっとそれは困ったなって。

戸上 
 ゼロ金利政策だよ。影響が田舎まできてるわ。

牧田 
 それとね、診断されたとき、「もう死を待つだけなんだな。すぐそこに死があるんだな」って、こんな私でさえ感じたんです。同じ診断を下された方々は、もしかしたら診断されただけで死を選んでしまうかもしれないって。
 「そんな方たちの話を聞こう!」「会いに行こう!」と思うことで、自分自身を死の恐怖から引き離している感じでした。そのころから本人に会って、実情を、話しを、聞きたいと思うようになったんです。近くならすぐ手伝いに行けるけれど、距離が遠いと、困っていることがわかっていても助けにいけない。私が今いちばん困っていることといえば、そのもどかしさですよね。

島根県安来市で開催された認知症講演会会場にて。認知症当事者仲間である(写真左から)丹野智文さん、牧田さん、山中しのぶさん。右は、山中蓮さん。(2022年12月)

心に響く本人同士の語らい
そんな仲間に会える場の大切さ

戸上 
 あとね。今、お会いしたい人とかおられますか?

牧田 
 私、毎月「はるそら」さんで開催されている「はるそら広場」というのに参加しているんですね。そこの方々と会えるのを、毎月楽しみにしています。

➋一般社団法人はるそら……岡山県岡山市。認知症・若年性認知症の本人・家族・専門職などいろいろな人が集い、一歩を踏み出すための作戦会議ができる気軽な場所として、若年性認知症の家族でもある多田美佳さんが認知症当事者らとともに開設。(P●に詳細)

戸上 
 牧田さんの近くに若年性認知症の方がおられますか? 私、今、牧田さんとお話してるけど、仲間というか、若年性認知症の話ができる仲間が何人もいるんです。

牧田 
 近くにはいないので、岡山の「はるそら」さんまで足を運んでいるんですよ。

戸上 
 牧田さんが住んでおられるところから県をまたぐような形ですね、岡山。

牧田 
 そう。岡山の「はるそら」っていう場所は私にとってだいぶ特別な存在になっているんですけれど、 “ここにいてもいいんだ” っていう居心地のいい空間なんですね。

戸上 
 やっぱり認知症カフェ?

牧田 
 うーん、認知症カフェじゃないだろうな。どっちかというとね、「おれんじドア❸」に近いのかな。
 本人ミーティング「はるそら広場」っていうのが月2回、開催されているんですけど、そこでは参加者のみなさんの言葉がそれぞれに大きくて重くて。なかなか愉快なこともあるし、本当に大切なことを話されることもあるし。なかには「わしゃ認知症という言葉が嫌いなんじゃ」という人もある。「あ、これは大事な言葉やな。記録しとかなあかんな」って。自分も結構気軽に “認知症” という言葉を使うので「ちょっと気をつけなあかんな」とか、そんなことを思わせて、再確認させてくれる場所なんです。

❸おれんじドア……認知症診断直後のショックや不安から、治療や地域の支援などにつながるための一歩が踏み出せない“空白の期間” を支えるべく、認知症当事者が話を聞いてくれる相談窓口。2015年、若年性認知症当事者・丹野智文さんが宮城県仙台市で始めたのを皮切りに全国に開設されつつある。

戸上 
 ああそうか……。

牧田 
 それでも進行して、いつかはみんな「はるそら」を卒業することになる。会えなくなる。それはまあ仕方がないことなんですけども……創設時からのメンバーで “てっちゃん(61)” という方がおられるんですが、ずっと「はるそら広場」を仕切ってこられて、いろんないい話をしてくれて大好きなんです。メンバーさんもみんな、てっちゃんに会いたくて集まられていて、みんなが楽しく会話している姿を見ているだけでも心が温かくなるんです。そんなてっちゃんも卒業することになってしまいました。今、会いたい人といえばてっちゃんですね。

倉敷にて。「はるそら」の企画で行われた、認知症当事者である下坂厚さんを交えた倉敷散策。竹林で休憩しながら、みんなでいろいろな話をした。(2022年7月)

「播磨オレンジパートナー」の認知症本人の会「ピア」のみなさんと一緒に神戸フルーツフラワーパークへ。2年ぶりにリアルで会えた仲間たちと、日々の活動やそれぞれの想いなどを夢中になって話をした。写真はパターゴルフでのシーン。(2022年5月)

仕事をするのはやはり怖い
サポート活動をしつつ次を模索

戸上 
 今、お仕事は?

牧田 
 いえ、仕事していないです。会社から戦力外といわれてから、やっぱり怖いです、仕事するのが。

戸上 
 何か活動はされているんでしょう?

牧田 
 活動的なものは「認知症カフェひまわり」では事務局としてお手伝いをさせてもらったり、「播磨オレンジパートナー」さんでは認知症本人の会「ピア」を担当しています。コロナ前までは実際に本人さんたちに会いに行こうといろいろ企画していましたけど、今はズームを使って話をさせてもらっています。ピアサポートではないのですが、カフェの延長線上のような形の本人同士で話す場所です。ピアサポーターとしても「はるそら」さんのピアサポート事業に関わっています。

❹認知症カフェひまわり……兵庫県豊岡市の豊岡健康福祉センターで月1回開催。問豊岡市社会福祉協議会地域福祉課
❺特定非営利活動法人播磨オレンジパートナー……兵庫県たつの市。認知症になっても安心して暮らせる思いやりある町を目指し、当事者支援、脳活性プログラム開発・提供、認知症の人を支援する人材育成などを行う。

戸上 
 長く勤められた会社は退職されてもね、何かできる能力があるんじゃないですか。私はそう思うな。

牧田 
 やっぱりね、私自身が怖気づいているんだろうね。私、症状として短期記憶の障害があって、手順が覚えられなくなっている。

戸上 
 私の場合ね、仕事をさせてもらっているデイサービス(なでしこガーデンデイサービス・大分市)の職員が一緒に私の横についていてくれるんで怖さが遠のきます。

牧田 
 デイサービスであれば本人の症状などがわかっている状態で仕事とか作業ができるのでいいけれど、普通に働くとなると一人前の仕事ができないじゃないですか。

戸上 
 私が働くのはほんの2~3時間。だからもらえるのは少額ですけど。送り迎えしてもらってね。

牧田 
 送り迎えしてもらえるのはすごいですよね。

戸上 
 一応、デイサービスを使っているからできるみたいです。
 症状が進んだら、私的には介護保険を使わんと本人も居場所がねえような感じがするわ。うちの社長は「診断を受けた後の空白の期間を少なくしてもらわんと症状が進むのが早くなる」といいますね。私もそう思っているけど。

牧田 
 実は私、介護保険は使っていないんです。当然デイサービスにも行っていない。そんな状態なのでデイサービスのいいところ、いろいろと教えてもらって勉強になりました。ありがとうございました。

戸上 
 こちらこそ、私みたいな者にお付き合いいただきまして。本当にありがとうございました。

以前からボンボンメーカーを使って猫や犬のぬいぐるみを作っていた牧田さん。3年前から手編みを始め、昨年は「Twiddle muff」を作った。Twiddleとは、「(手で)いじる」という意味。「Twiddle muff」は、触ることで安心感を得られるというもの。イギリスでは認知症がある人が使っている姿を見かけるという。

インタビュー実施日:2022年9月8日
執筆:斉藤直子
構成:早川景子 

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